ココロ
2017年9月13日

何をやっても人よりできない私に、生きている価値はある?


お悩み


「私は昔から何をやっても人よりできない人間でした。
勉強もできない、運動もできない、面白い話もできない…学生時代、友人と呼べる人はいましたが、一緒にいると劣等感がつらいことも多かったです。
就職してから、人並みに仕事はできていたけれど、同期はどんどん出世していくのに私はそのまま。彼らが頑張って評価されていくのはすごいと思うけど、同時に私にはできないことをためらわずやれる彼らをうらやましく思い、自分のダメさ加減を思い知ってしまいます。
何をやってもダメな私は、生きている価値ってあるのかなと思ってしまいます」

モチューさん


回答


モチューさん、こんにちは。
昔から、何をやっても人よりうまくできないと感じていて、お仕事をされている今も同期の人たちの出世をうらやましく感じると同時に、自分にがっかりして落ち込んでしまわれているのですね。劣等感、とてもつらいものですよね。

●人より優れたいという欲求は普通のこと


何をやっても人よりできない私に、生きている価値はある?

さて、ご相談文から、モチューさんの「本当は勉強もすごくできる自分になりたい」「運動もできる自分になりたい」「面白い話しもしたい」という強い願いが伝わってきました。

もしかすると、「自分のダメさ加減」に落ち込んでいらっしゃるモチューさんは、「人より優れた自分になりたい」と思っていらっしゃるのかもしれません。もしそうだとしても、それはとても普通のことです

「劣等感」という言葉の産みの親は、アルフレッド・アドラーという心理学者。少し前に『嫌われる勇気』というアドラー心理学をわかりやすく対話形式で書いた本がベストセラーになりました。

アドラーは、「私たちにはみな、無力な弱い状態から脱したいという欲求がある」と言っています。そして、人より優れているという「優越性」を求めるのも、誰もが持っている欲求なのです
優位な状態になりたいからこそ、何で自分はあの人みたいに頭が良くないんだろう、あの人みたいに面白く話せないんだろう、と落ち込みますよね。

●まずは、自分の中の欲求を認めることから始めてみよう


何をやっても人よりできない私に、生きている価値はある?

そこで、まずは自分の中にある「勉強ができる自分になりたい」「運動ができる自分になりたい」「面白い話しがしたい」「人より優れていたい」「出世したい」という欲求を、思い切って認めてみるところから始めてみてください

「思い切って」と書いたのは、ひょっとすると、この欲求を認める・・・・・